●石井修:花と緑があれば(目神山の四季)
— 目神山の自宅と自宅周辺の四季折々の花をご紹介します —
株式会社 新建築社発行 「新建築 住宅特集 the japan architect」
1988年5月号から1989年4月号に掲載されました
門 ・・・・・・・ マツ
チラチラと白いものが舞い始めた。いよいよ冬の季節になったようだ。朝刊を取りに外に出る。暖められた室内にいるとわからないが、さすがに寒い。たぶんマイナスの気温だろう。新聞受けは石段の上の門のところにある。道路に面した通路の両側に背丈ほどの杉丸太が立っている。門柱には表札とインターホン、そして牛乳なども入る郵便箱がある。門柱を貫いてスライドするバーは公私の領域を示す標識で、泥棒の来入を拒むほどの機能はない。
屋敷への入り口につくられる門は邪気悪霊が住居へ進入するのを防ぐためのものであったとか。禍が入ってくるといわれる北の陰から東の陽に転ずる位置は鬼門といって嫌われているが、わが家の門は鬼門を退けてつくたわけではない。ちょうどそこに一本のクロマツが自生していたので残し、その木の下に門柱を立てた。太い下枝が門に被さるように伸び、その下にいれば少々の雨でも濡れることがない。粋な黒塀がないので見越しの松とはいえないが、堂々たる風格があった。大事に大事にしていたほに、松食い虫にやられて数年前に枯れてしまった。 。マツは常緑の高木でアカマツ(メマツ)とクロマツ(オマツ)があって、日当たりのよい痩せた土地を好み生育する。奈良公園の春日参道にある影向(ようごう)の松といわれている老松は、今では見る影もないが、春日明神が御鎮座されるところ。松は常緑を寿ぎ吉相の兆とされる。 正月が近づくと毎年小さな「カドマツ」をつくる。材料はすべて庭で調達する。茂り過ぎた松の枝を切り、まだ固いつほみをつけた梅の小枝と地表に低く自生する笹を切る。これで松竹梅のめでたい木が揃う。奉書紙で包み金銀の水引きで束ねると一対の「カドマツ」が出来上がる。あとは門柱の丸太に打ち付けるだけ。宝石のような赤い実をつけた千両(センリョウ)の枝を添えることもある。門松は年神様が降り立つ神の依代(ヨリシロ)。松が聖樹として大事にされたのも、人々の永遠の幸福と長寿を願う心が年中深い緑をつけるときわ木を選んだのだろう。北国に比べると関西の冬は短い。
二月も終わり頃になるともう梅がほころびかける。すぐそこまで春が来ているのに、早くこないかと待つ。春を迎える喜び。それは人ばかりではない。草や木、そして虫や鳥たちも一様に待ちこがれている。 少し止んできたようだが、今夜あたりうっすらと積もるかも。神呪寺の除夜の鐘の音が目神山の山あいを渡り、朝日が登ると年が明け、また新しい春がくる。
内と外 ・・・・・・・ ウメ
日向ぼっこ。なんと長閑かなよい言葉だろう。心の中まで暖かくなってくる。 陽光を直接浴びて暖かい季節を外で過ごした鉢花たちだが、室内に入ってきたのはまだ寒くなる前の、十一月も終わり頃。日当たりのよい窓際には暮れから咲き出したシンビジウムの淡いピンクとクンシランの赤い花が華やいだ雰囲気を部屋いっぱいに漂わせている。床暖房によってほどよく暖められた室内は、ガラス越しの日差しを受けて初夏の陽気。外は真冬の寒さというに。 十二月と一月は一年中で一番花の少ない季節だが、山茶花だけがまだいくつか花を咲かせている。ひ弱そうな花なのに、厳しい寒さに耐えて咲く力がどこから出てくるのだろう。
日向ぼっこをするのは人間だけではに。木々や草花たちは太陽の光を食べて生き、花を咲かすことができるのだ。窓越しの冬の日差しは長く伸びて部屋いっぱいに拡がり、安物のカーペットを高級な繊緞に変えてしなう。敷物の図柄は木漏れ日に任せておけばよいというわけ。 厳しい寒さの一月が過ぎ、二月ともなると、寒さの中にもどことなく春の気配が漂ってくる。それを気遣うようにして、外の日溜りでは白梅の花が綻び始める。梅の根元にある福寿草の花も梅の花に誘われるようにして咲く。パッチのような黄色い花はお日様が当たっているときだけ開いている。梅は中国原産のバラ科サクラ層の落葉樹で万葉のころ渡来したものといわれている。早春の名花で、その清楚な美しい花を愛でて『万葉集』の中で詠まれている歌も多い。窓を少し開けてみよう。風はほとんどないのに馥郁とした高雅な香りが漂ってくる。梅の花の匂いは夜とともに濃くなるとか。梅は近づく春を忘れずまだ寒さが厳しいというのに健気にパッチリとした花を咲かせる。 それまでの、花の少ない冬の庭先を彩ってくれるのは、晩秋に実をづけた木々たち。赤い小さな実を無数につけたクロガネモチは鳥たちのレストラン。鳥に運ばれて来た千両や万両も庭のあちこちにずいぶん増えた。鳥のお腹を通った種は必ず芽生えるという。藪柑子(ヤブコウジ)の実も小粒の赤で、一両ともいう。クロガネモチの実はたくさんあるので億両になるのだろうか。南天の実は鳥が食べてしまってもうないが、コトネアスターはまだ赤い実をつけている。
中庭の八朔(ハッサク)の実も黄色く色づき、もう食べられるころだが、来週あたり幼稚園に通う孫娘が来るといっていたのでもぐのを延ばしておこう。寒気をおかし、百花に先んじて、葉もない木の枝に咲く梅は、今年もまた新しい春が来ることを後に続く花たちに告げる。 春はすぐそこまで確実に近づいている。梅の合図に安心したかのようにして草木は次々と花を咲かせる。鶯が梅の枝で春の歌を唄いだすのも今日明日のことだろう。
屋根 ・・・・・・・ コブシ
「ホーケキョ」。朝、事務所に出かけるとき、四、五度耳にした。うぐいすが早春の歌をうたい出してから、まだ日が浅い。もう十日もすれば、だいぶ上手になるだろう。春といっても朝夕は寒く、暖かくなったと気を許すとまた寒くなる。関西では東大寺二月堂のお水取りが済まねば、本当の春は来ないという。家に帰るのはたいてい夜遅くなる日が多い。門灯のあかりを頼りに石段を降りようとして、むせるような芳香に立ち止まる。春は花の香りに乗ってやってくる。早春に咲く花たちは香気を放ち、新しい春の来たことを香りで知らせてくれる。 かたまったように咲いている清楚な花は沈丁花で、夜の闇のでは特に匂う。石段を降りた石畳の脇には香菫(においすみれ)が紫色の可愛い花を咲かせているが、夜は強い香りがない。芝屋根の水仙もまだ寒いころから鮮やかな黄色の花をつけ、香気を放つ。花が咲くと、この花を贈ってくれた今は亡き友のことを想い出す。
水仙の咲いている芝屋根の上部に登ると、甲山に続く樹海の中に斜面に沿った片流れの大屋根がある。片流れの屋根はカンカン帽子を斜めにかぶった粋なモダンボーイ。つばが長く、夏は日射しを遮る。屋根の形は建物の姿を美しく整える。建物を取り囲む木々は屋根より高い。流れ落ちる軒先のすぐ向こうには、この家を建てたときに植えた一本の辛夷の木がある。自生の木々がたくさんあるが、辛夷(こぶし)がほしくて植えた。ここからもう少し六甲山のほうへ登れば、自生の辛夷を見ることがあろが、このあたりにはない。梅の花はまだ花の季節には早い早春のころ咲くが、常盤木の中で裸木の枝先に真っ白な大きな花をいっぱいつけた姿は目を瞠ほど美しく、春の息吹を感じさせてくれる。
コブシは木蓮科の落葉高木で、蕾の形が赤子の拳の形に似ていることから名付けられたという。関西では桜の前に咲きかけるが、東北では田打ちの時期に開花することから田打ち桜いわれる。優雅な芳香のある六弁の白い花は、ぽっかりと咲いて春を告げる。窓の真ん前に植えた辛夷は軒高よりも低く、六年ほどは花をつけはかったが、高く大きく伸びて日射しを受けるようになり、四、五年前からたくさんの花をつけるようになった。花が終わると、光を通すような薄い大きな葉を枝いっぱいにつけて美しい。 外気はまだ冷たく窓を開けることがないので、うぐいすの声も遠いが、桜の花がほころびかけるといよいよ百花繚乱の春本番になり、谷わたりをはさんだうぐいすの美しい歌声がいつもきこえてくるようになる。
家 ・・・・・・・ サクラ
「つぼみふくらむ」。紙上に花便りが載るようになった。花といえば桜、日本は桜の国、開花前線は南から北へ列島を一気に駆け上がっていく。関西は四月上旬頃、満開になる。お水取りが終わると寒暖を繰り返しながらも暖かい日が多くなり、にわかに春めいてくる。 花便りが目につく季節になるとそわそわして、家の中で落ち着いていられなくなる。桜が咲き出すと野にも山にも町にも本当の春がやって来る。暖かい陽光を浴びて桜の花が一斉に開く。咲き競う淡紅白色の花容に、人々は訪れた春の喜びを託す。桜の花には何か得体の知れぬ魅力があるようだ。
考えてみると、私と桜の付き合いもずいぶん長い。小学生の頃は桜の花の咲く奈良公園が通学路だった。「古への奈良の都の八重桜けふ九重に匂いぬるかな」と詠まれた有名な奈良八重桜の分木が校門に植えられていた。昭和九年の卒業で、時折クラス会をやるが九桜会という。また寮に入り、五年間学んだ工業学校は桜の名所吉野山麗にあった。下の千本から中、上、奥の千本と順番に咲き、全山桜の花に埋まる景観は目を瞠見事さで、毎年二、三回は登った。
さくらはバラ科の落葉樹で五十種類以上の品種があり、高木や低木がある。桜といえば染井吉野が代表的で、どこにでもある。目神山周辺には自生の山桜が、ダムの近くには桜並木が続き、いろいろな品種の桜が集まった公園も近く、神呪寺の枝垂桜の毎年見に行く花のひとつである。友人の家「目神山の家2」との敷地境界に植えた三本の染井吉野も大きくなって小枝が隠れるほどに花をつけ、隣家の食堂から手の届く近さで大きな窓いっぱいが桜の花になる。わが家のほうはその桜の木の下、芝屋根に寝そべって見上げると淡いピンクの花がブルーの空に映える様はまた格別。絢爛と咲き乱れる木の下で友と語らい酒を飲む。桜の木の下には家があって家の前には花が咲き季節を楽しむ暮らしがある。桜と過ごす時間にはいつも爛漫の春がある。花の下で人は酔い、歌い、踊る。太陽と澄み切った大気と水、そして美しい花と緑があれば暮らしの場にもう何も望むものはない。 花の命は短い。美しくあでやかに咲き誇り人々の心を酔わせた桜の花も、一陣の風あっという間に乱れ散る。その散り際の潔よさと美しくもはかない風情に心を動かされ「願わくは花のしたにて春死なそむその・・」とうたった西行法師の本当の思いは、夢の中で桜の花が散るのを見て胸がさわいだだけのためではないように思える。 自然が演じる目神山の舞台は花吹雪が舞う西行の夢の場面で一応の幕が下りるが、次の幕が上がると舞台は去年と同じように窓辺の小葉のみつばつつじが咲き部屋の中まで紅紫色に染まる。
窓
一杯やりに来ませんか。つつじの花が今、一番見頃ですからと、毎年今頃の季節になると親しい知人や友を誘う。私が住んでいる西宮市目神山は豊かな自然が残っており、四季折々の花がつぎつぎと咲く。季節が巡り、桜の花が散りそめる頃、寒い冬を耐えてきた窓辺の裸木が、透き通るような美しいピンクの花を枝いっぱいにつける。このあたりのあちこちに自生している落葉の低木(高さ2~3m)で、枝の頂きに三枚の小さな葉を輪生させることから、小葉の三葉躑躅(コバノミツバツツジ)という。今年もまた手の届く窓先に花の衣をまとって、艶やかな姿態を惜しげなくなく見せてくれる。 華麗な自然の風情をひとりで楽しむのが惜しまれて、花の季に託した集いを持ちたくなる。 大きな開口部は壁や屋根とは違い、いつも外に向かって開かれていて、人と自然との交流を深める。 窓を開け放してみよう。若葉と花の香りをブレンドした新鮮な空気が部屋を渡る。上手になった鶯の歌声が一段と高く間近い。花に誘われてやって来た目白たちがつつじに群がり、花衣が揺れる。 そうした自然が育む生命に素直な共感の心を寄せるとき、人々の心がなごむ。家の外に繰り広げられる自然のドラマは休むことなく永遠に続く。舞台は屋外にあって、演出は自然がやってくれるので、まかせておけばよい。一年間のプログラムは決まっていて毎年繰り辺されるが、見飽きることがない。
住まいの周辺にはいろいろな花や緑がたくさんあればあるだけよい。この窓先にある、コバノミツバツツジも植えたものではない、地形を変えず地表を残して家を建てたので、自生していた樹木がそこに生き残った。窓はその樹の前につくればよい。花と緑は、いつの時代にも人々の心をとらえて離さない魅力を持っていて、私たちの暮らしを豊かにしてくれる。 住まいの周辺を通り過ぎていく季節の表情、今月から一年間にわたり、下手な写真と文にとどめてみることになった。 次回は心地よい風に誘われて外に出てみることにしよう。
屋上庭園
「おやねであそぼうよ」。昨日から来ている四歳になる孫に誘われて外に出る。 わが家屋根は芝生になっていて、飛んだり跳ねたりできる。屋根は猫や鳥たちだけが遊ぶところではない。四、五日前には咲きかけていたから、そろそろ花薗に変貌するところなのを、孫はもう知っているのかもしれない。女の子は幼い頃から花が好きなようだ。 梅雨に入る前の初夏の日射しはやさしく、新緑をわたってきた風が肌に心地良い。道路から落ち込み前庭に連なった屋根は斜面に逆らって盛り上がり、人工の大地となって本物の大地と融合する。青みを増してきた芝生に混生する草花たちが、季(とき)をずらして花をつける。四月には「すみれ」が紫の可憐な花をつけ、二週間ほど経つと名も知らない小さな草花が次々と咲く。六月頃になると「ねじばな」が屋根一面に咲く。ネジバナはラン科の宿根草で、十センチメートルほどの茎に濃紅色の小さな花を螺旋状につける。別名をモジズリ草ともいう。 「ネッコグサ(もじずり)よ。もしお前と逢い見ることがなかったならば、私は恋に悩むこともなかったろうに」と万葉の東歌に詠まれているように、非常に女性的な美しい花で、万葉人がこの草に思いを寄せているのもうなずける。 上へ上へと廻りながら咲く花は天に登る小人たちのための階段だろうか。花摘みに飽きた孫は、巣作りに励む忙しげな蟻たちを膏にのせて遊んでいる。寝ころんで空行く雲を眺めながら転(うた)た寝を楽しむ。緩やかな斜面に敷き詰められた緑の絨緞は柔らかな褥、すぐそばでは山鳩も遊ぶ。
屋根は雨露をしのぐためだけにあるのではない。土を載せた緑の屋根は大地となり建物は姿を隠して、隣家のための庭園となる。植物が育ち、人々が憩い、そして自然と戯れる絶好の場となる。緑の中に建つ家は、木々に隠れて見えないようにつくればよい。自然環境が壊れず美しい町並みが自然とできる。 自然との共生を望むならば、こんなささいなことから始めてみればよい。 優しい関西の風土の中で自然とともに暮らす喜びを授けてくれたのは、美しい花や緑ではなかったのだろうか。 来月は梅雨の季節、緑が濃くなり小雨に似合う花がまた次々と咲く。
中庭 ・・・・・・・ ヤマボウシ
「白くなってきたね」。外を見上げながら母がいう。八十七歳になるが元気である。もう梅雨に入ったのであろう。朝から絹糸のように細い雨が静かに降っている。一本のやまぼうしが中庭の幅いっぱいに枝葉を拡げ、枝先につけた十字星のような小さな緑色の総苞が大きくなり、日ごとに白さを増して花弁のようになる。 朝、母と顔を合わせるときの短い会話は四季に咲く花木のことが多い。植物に関心が深まったのも親ゆずりのことなのであろうか。 やまぼうしはみずき科の落葉高木で本州以南の山野の林の中に自生する。梅雨の頃になると四枚の総苞が白くなり、葉の上を群がり飛ぶ蝶のように見える。その四枚の白い苞(ほう)の中心にある緑色の粒状の球体が本当の花。法師が頭巾をかぶった姿に見立てて山帽子の名がつけられたとか。花と人との感情の交流によってさまざまな連想が生まれる。十数年前、スキ一で骨折して入院したとき、身動きできずベッドから見上げた白衣の清楚で美しい人の姿が花の表情と重なる。純白の花たちの姿態は秋になると丸い苺のような真っ赤な実を結び、食べられる。紅葉も美しく中庭の主役というべきか。木はとても堅く、鋸や鉈など道具の柄には最適で、私が大工であれば切ってしまうところ。
中庭は住まいの中央にあるので、自然の営みを室内に持ち込んだようになり、花や緑はいつも身近にある。五月に頭を出した竹の子もみるみるうちに伸びて建物より高くなった。ハッサクの十字形をした純白の花も、甘い芳香をただよわせている。ひよどりが巣をつくり、可愛いヒナがかえり巣立つ。今年はまだのようで待ち遠しい。住まいの中庭は自然と人間の親密な交流が生まれるところかもしれない。 少し明るくなり雨もやんだ。そろそろ仕事場へ出かける時間。「傘を持っていつたほうがいいよ」と案じてくれる母。 もう若くないのに親からみればいつまでたっても子供なのだろう。「あまり遅くならないように帰るよ」と家を出る。今夜は窓辺を乱舞するホタルの光跡を眺められるかも。 生い茂る木々の緑が濃くなり梅雨があけると、また盛夏の季節がくる。
壁 ・・・・・・・ ナツヅタ
せみしぐれがとぎれなく降り注ぐ、日曜日の昼さがり。風はほとんどない。延び延びになっている消毒をしておこうと、庭に出る。燃える太陽が容赦なく照りつけ炎天下はさすがに暑い。 大阪では天神祭のある今ごろが一年中で最も暑く、都心では冷房に頼るしかない。共存すべき緑をなくしてしまった当然の報いなのかも。 そんな市街地にある私のアトリエから車を使えば30分ほどで木々の生い茂る、山あいの家に帰ることができる。高台のこともあるが森林の恩恵で夏は涼しく、朝晩はさわやかな空気が流れ、クーラーの世話になることはない。 関西の夏はことのほか暑い。 吉田兼好はいう。「家の作りようは、夏をむねとすべし」と。
コンクリート打放しの住宅をよく見かける昨今、わが家も上部の建物の一部は軒の出ない打放し。壁は強い日射しを受けて熱を貯え、室内に放射される。真夏にパネルヒーティングをしているようなもの。「夏をむねとすべし・・」どころではない。「蔦茂る」わが家の打放しの壁は、今は隙間なくびっしりと葉をつけたナツヅタ(夏蔦)に覆われて、コンクリートの肌は見えない。涼しげに波打つ緑の壁は日影をつくり、葉裏の気温は外気温より数度も低い。日が照り葉の温度が上がれば上がるほど、どんどん水を汲みあげ葉裏から水を蒸散させて温度を下げる。 「ナツヅタ」は青蔦ともいう。ブドウ科のつる性落葉木本で、たいていの物(石・木・コンクリート・鉄)に簡単に吸着密生する。春は浅緑。夏はつやつやと輝く濃緑。秋の紅葉はツタモミジといわれ、美しい。壁に這わせると優れた断熱性能を持つ美しい外装材となる。ツタは人の暮らしにもたらしてくれるものは大きい。
一仕事を終え、風呂上りの冷たいビール。休日のしあわせがのど元を通る。夏は昼寝に限る。森にひそんでいた冷気が風に運ばれて部屋を渡る。カナカナカナ・・・と鳴く「ひぐらし」の声で目覚める。ほの暗くなった夕暮れ、ひぐらしの鳴くときは静寂が訪れる寸前。哀愁を帯びた鳴き声が山あいのあちこちから呼びあう。この小さな生命の鳴き声が私たちの心に深く浸みこみ、生涯ここで暮らしたいと思う。松虫や鈴虫が鳴きだす頃になると、もう暑い夏も終りに近い。
天窓 ・・・・・・・ ユリとコスモス
秋の虫たちが奏でる調べを耳にまどろみかけたのに、強い雨音で目が覚める。 日照り続きで乾ききった大地によく耐えている植物たちと、夕方水を遣ったばかり。少しは生気を取り戻した様子だったが、 むらなく降り注ぐ雨には及ばない。 夏も盛りを過ぎたとはいえ、葉を茂らせ強い日射しを浴びる草木たちにとっては待望の慈雨だったろう。 人工地面の屋根に育つ草花たちも季節の移り変わりを感知して花を咲かせ実を結ぶ。地に落ちた種はまた芽生える。屋根の庭に育った草花の仲間たちも二十種類近くなった。人が植えたもの、鳥や虫に運ばれてきた種、風に乗って屋上庭園の住人となった「ユリ」や「コスモス」も晩夏の頃になると咲き出す。 コスモスは西洋の花ユリは日本の花。ユリは大昔から人々に知られ親しまれてきた花で人間との関わりも深い。愛らしく美しい百合の風情は万葉人の心に深く染みたに違いない。 夏の野の繁みに咲ける姫百合知らえぬ恋は苦しきものを 夏草の繁みにかくれて咲く清純な花のかたちや香りは、美しい女性の化身とも見えたであろう。秘められた恋の哀切さを百合に託したのであろうか。 古事記の記述によると、九州から大和に来た神武天皇は大和の娘と出会う。その娘の家の近くには山百合(ササユリ)が咲き乱れていた。この百合のように美しい娘は天皇と結ばれ皇后となる。この百合伝説に基づいた三枝祭が毎年(六月十七日)奈良の率川神社で行われる。ユリはユリ科でこの属の総称。北半球に百種ぐらい、日本には十六種ほど自生する。写真の(テッポウユリ」は、長い筒状のラッパ形で、純白の花は横向きに咲く。三枝祭を彩るのは可憐なササユリで、あたりを芳しい香りで包む。
テッポウユリが見下ろす大屋根には三つの天窓がある・雨音がするのはこの寝室の天窓で、ベッドに寝転ぶと顔の斜め上にある。銅版張りで外は見えないが、突き上げると天空を望める。風がよく入り、夏は満天の星を眺め、中秋の名月を愛でる。雨音が止み夜も深まり、松虫や鈴虫の鳴く声が眠りを誘う。 見渡すかぎり、風に揺れて咲くコスモスの大草原に遊ぶ幼い子供たちと若い私と妻、そこには一軒の家さえなく、静かで美しい花園。たぶん夢の世界にいるのだろう。萩がこぼれ、すすきが揺れる。 秋の花たちはこれからが出番で、庭のあちこちにいろいろな花がつぎつぎと咲く。
庭 ・・・・・・・ フヨウ・ハギ・ミズヒキ
「ゴォーン」、梢を渡ってきた鐘の音が夜明けをそっと告げるように耳元に届く。 神祈呪寺は庭つづきの木立ちの中を真っ直ぐに登って行けば五分とはかからない。雨の日も風の日も欠かすことなく朝夕のときを知らせてくれる。 きょうは中秋の名月と重なった日曜。暑さも寒さも彼岸までといわれるように急に秋らしく涼しくなる。明日は開きますよと大きく膨らんだ芙蓉のあったことを思い出し早く起きる。戸を開け放し、さわやかな朝の大気を吸い込む。窓辺できのう見つけた芙蓉のつほみが見事に咲いている。淡紅の大輪のあでやかな花は庭先の一画に華やいだ雰囲気を漂わせている。美しい花は女の人にたとええあれることが多く、芙蓉の花も艶麗で初秋に出遭える麗人のひとり。フヨウはアオイ科の落葉低木で晩夏から秋にかけて大輪のピンクの花をたくさん咲かせて一日で散るが、次の日も次々と咲き継ぎ長い間楽しめる花木。美人薄命のたとえにピッタリの一日花で、夕方にはしぼんでしまう美しくはかない花。 ゆめにみし人のおとろへ芙蓉咲く 久保田万太郎の句を思い浮かべる。 芙蓉の咲く裏庭は公有林に接して広い。せせらぎがあり、大木が茂り、花が咲き実を結ぶ。敷地の庭にもいろいろな草木花が植えてあるので年中花がとぎれることなく、四季折々に咲く花たちと出逢う。十五夜に日を合わせたように咲いているミヤギハギは優美な姿態で名月を迎える。半月前から咲き初めた水引草の可愛い赤い花をつけた長い花穂は、祝儀袋の水引とそっくり。木陰になってしまった場所の曼珠沙華は今年も咲いてくれるだろうか。鳥の声、風の音を耳に、花や緑の自然に囲まれてのんびりと過ごす休日は短く、夕暮れがすぐくる。風音が止み、水音がよみがえる。 一日の終りを告げる神呪寺の鐘がもの淋しく山あいに響く。朝早く咲いた数輪の芙蓉の花が酒に酔ったように赤みを増し一段とあでやかな風情を見せる。間もなく短い一日のはかない命を終えるのであろう。そしてまた明日咲く花のつぼみがいくつも紅くふくらんでいる。 木犀の花の匂いがどこからともなく漂う頃になると、木々も色付き落葉寸前の華やぎを見せてくれる。
街路 ・・・・・・・ ケヤキ
「行ってきます」と家を出るのはいつも九時前。大阪の事務所にはちょうど十時に着く。 十二番坂の上のほうにあるわが家から緩急の坂道を下って行くと十五分ほどでバス停。雨の日も雪の日も朝は毎日歩く。足腰のためもあるが、バス通りまでの蛇行する街路は深い緑が両側に迫り、四季折々の草木の風情を楽しめる。またこの通りには私の設計した八軒の家があり、毎日それらの家々を見て通る。道路に面する敷地は土地や自然木を残し、そこにはいろいろの種類の落葉樹が植えてある。夏は街路に木陰をつくり、冬は落葉して暖かい日差しが落ちる。 隣の家にはザクロ、サワグルミ、イロハカエデ、向かいの敷地にはニセアカシアが残り、筋向かいの三軒の家々にある落葉樹は、ソメイヨシノ、ケヤキ、ニレ、イチョウ、イロハカエデ、シャラなど、そして少し下がると左側にはケヤキの並木とムクの木、その向かいには自生のコナラの大木とコバノミツバツツジ、その下の高い石段を上がる家には何本ものイロハカエデやソメイヨシノがある。 これらの何種類もの落葉樹が色づき始めてきたが紅葉が本当に美しくなるのはもう少し先、朝晩の強い冷込みがきてから。今年の夏は暑い日が少なくて雨の日が多く、残暑も短く、秋晴れの日差しが不足だったので、美しい紅葉は無理かもしれない。夏は夏らしく、秋は秋らしく、天と地の自然のハーモニーがうまくいってないと、鮮やかな紅葉にはならない。 街路樹の横綱は銀杏(イチョウ)と欅(ケヤキ)。イチョウの黄葉は黄金色の代表だが、十二番坂の通りにあるんはまだ小さい。欅は黄茶色に黄葉するが、微妙に違う色彩が混ざり合って美しい。欅はニレ科の落葉の高木で、昔は高さ五十メートルに達する樹齢千年以上の大木がたくさんあったとか。古寺や民家の柱などにも使われていて木材の王様。こんな木で家をつくれば、千年ぐらいではびくともしないだろう。
抜けるような秋空に映える、色ずきかけた梢を見上げながら歩く。この道沿いの木々たちはこれから何百年いや何千年も生き続けるのだろう。そんなことを考えたいるうちに十二番坂を通り過ぎ、一番坂の急坂にさしかかる。ときたま車も通るが道は本来歩くためのもの。八十段ほどあるいしだんを下りると目の前にはイチョウの大木がそびえる。黄金色に輝くのはもう少し先の楽しみ。車が行きかうバス通りはすぐそこ。バスは桜もみじの街道を走る。
アプローチ ・・・・・・・ モミジ
ガサガサと吹きだまりの落ち葉を踏んで歩く。日向くさい匂いがして、妙に心が休まる。天高く住み切った冷気。梢から落ちてくる日差しが心地よく暖かい。目神山町周辺には散歩にもってこいの山道がいくらでもある。どのコースしようかと迷う。そんなときは花や緑の誘いに乗ることにしている。綺麗な花の咲く道。花の香りがただよう山の道。新緑や紅葉に染まる森の中の道など、四季折々に出会える草木花は、毎年必ず同じ場所で待っていてくれる。 晩秋のころの散策には擦れ違う人もいない静かな山道がよい。色付いた楢の葉が風もないのに舞い落ち、かすかな音をたてる。耳を澄ますと森の中の小鳥たちも小さな声で話し合っている。森の山道は人がすれすれに通れる幅。お椀を伏せたような形をした甲山の裾を上がったり下がったりして一周する。落ち葉を踏んでのんびりと歩けるこんな道はだんだん少なくなり、いつの間にか道路は車のためのものになってしまった。 そんな街路から玄関への接近路だけは人様が歩くためにつくられた道。森の山道のように木立に囲まれて登ったり曲がったりする路地がよい。毎日歩ける唯一つ道、少しでも長くしたいもの。アプローチの立ち木には楓(カエデ)がよく似合う。紅葉の王様はなんといっても楓。夜になってぐっと冷え込み、明け方、強霜が降り厳しい寒冷で鮮やかな紅葉となる。イロハモミジはカエデ科の落葉高木で、春の透きとおる新緑も美しい。何百年と生きてきた老樹でも、毎年春が来ると花を咲かせる青年になる。夏は壮年のように濃緑の葉を茂らせ、そして冬眠に入ろうとする勅前、木々の葉は無限に近い豊富な色彩に染まり、絢爛華麗な秋の衣装をまとい年に一度の極彩色のドラマを演じる。終幕は木枯らしに乗って落葉乱舞のダンスを見せたあと、花道には落ち葉のじゅうたんを敷き詰めてくれる。 ぶらりと家を出て二時間。黄色の銀杏(イチョウ)。紅色は、桜(サクラ)、櫨(ハゼ)、膠(ヌルデ)、漆(ウルシ)、錦木(ニシキギ)、楓(カエデ)など。茶色は楢(ナラ)、落羽松(ラクショウヨウ)と見飽きることはない。なんと豊富な色だろう。自然の色にはかなわない。晩秋は陽の落ちるのが早いので少し急がねば。家の前まで来て隣家をふと見上げる。深い青空を背にした玄関前の楓は燃え立つ焔のように紅く染まった美しい衣をまとい、だれを待っているのであろう。木枯らしがすぐそこまで来ているというのに。
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