新建築「住宅特集」2009.07 掲載

メディア掲載

住宅の内と外

以前建主さんから「これからは防犯住宅が主流になりますよ」と言われたことがあります。この方は風光明媚な土地で、コンクリート造で窓には防犯のための鉄格子を望まれましたが、私にはそのような家はどうしても設計できませんでした。確かに防犯性能など安全に対する備えは必要ですが、あまりに過剰なのはどうか、と思ってしまいます。どこまでが適度で、どこからが過剰かという判断が人によって千差万別だとしても、やはりそう思うのです。
道路に面して窓のない要塞のような堅固な家で、道路から見えにくい窓に防犯の鉄格子が嵌っていたら、そこに住む人は囚われ人のように思われてなりませんし、近隣の人びとにとっては付き合いを拒絶されているような印象を受けるのではないでしょうか。夜になるまで施錠もしなかった一昔前に比べ、あまりにも危険に満ちた昨今の社会情勢の中で、住む人の安全と快適さを満足させつつ道行く人を拒絶せず、町並みに溶け込む住宅がいかに難しいかを実感します。
六月号で訪問した「楓燕居」は木造住宅でしたが、外からは中が見えにくく、中から外が見えるよう格子を工夫しておられました。またファサードだけでなく、道路に面した植栽でも、町並みや道行く人への配慮が随分なされています。
外に向かって閉じ、内に開く住宅が防犯と居心地のよさを両立する手法のようですが、防犯に対して、建築のみで対応することが果たしてよいことだろうか、という疑問もあります。セキュリティ設備があったとしても、生活上の問題もあるのではないでしょうか。時代遅れを承知で申しますが、地域の人間関係について考え直す必要もあると思います。ある雑誌に、「近隣との人間関係が密なところで仕事をするのがいちばん難しい」という窃盗の前科のある人のコメントが載っていました。私も近所付き合いのある場所に、建て替えをする物件の敷地調査に行った時、よそ者であることをすばやく察知され、どちらの方ですかと尋ねられました。その時このコメントを思い出し、なるほど、と思いました。外との関係を適度に閉ざしつつも、建築として近隣の人間関係を喚起する形があるのかもしれません。人間関係が希薄な時代だと言われていますが、だからこそ、それでいいのかという問いかけをもっていたいものです。
防犯に関連して、窓に対しても、現代の人たちの反応が昔とは違うように思えます。昼間なのにブラインドを下ろし、その中で仕事や談笑をしている光景をよく見かけます。どうして、せっかく窓があるのに外を見えなくするのか不思議だったのですが、外を見る必要がなく、外から中を見られたくないからだという話を聞いて驚きました。私は部屋でゆっくりしている時は外を楽しみながら見ていますし、仕事中は三〇秒ほど外に視線を移すことによって、目を休めて気分転換を行っています。外から見られるかもしれないということより、外を見ること、すなわち外である社会につながっていたいという気持ちが強いのかもしれません。住宅の窓のあり方は、そこに住む人と社会との関わり方を映しているように思えるのですが、内と外をつなぐ窓は、囲われた外につながるのか、それとも社会である外につながるのか。適度の安全を確保しつつ地域社会とのつながりや町並みにも配慮した住宅の設計は、どのようであるのが望ましいか。それを考えていきたいと思っています。