新建築「住宅特集」2009.10 掲載
「鴬案」をたずねて 古谷 誠章/NASCA
公園の奥の道路を隔てた敷地に、庭の木立に隠れるようにして、本当に小さく「鴬庵」が佇んでいた。庭の樹木を眺めながら玄関に近付くと、記事にあった框のないガラス面に見える玄関扉がある。中に入ると壁面に映ったトップライトの美しい光が陽炎のようにゆらゆら揺れて出迎えてくれた。室内はゆったりしたほどよい大きさの空間で、作者の意図通り外観から想像するよりずっと大きく思える。
8月号に掲載された「鴬庵」の写真から、無機質なのに温かみを感じた。建主である曽根さんも記事の中で「造形的・構築的でありながらもどこか温かさがある」と述べられている。私にはコンクリートの住宅は住み心地が悪いという偏見があったが、「鴬庵」はそうではないと感じた。鉄筋コンクリート造で屋根はフラットであり、仕上げも無機質なとても現代的な建物であるのに、伝統的な日本家屋のエッセンスが感じられたのである。それで是非伺ってみたいと思った。
「衣服、家具、部屋、家、庭を含んだ外部、都市、自然、大気圏、オゾン層というように人間は空間を重ね着する。」と古谷さんが述べられているように、「鴬庵」は家具から太陽という宇宙空間を含めたところまで、個々にも相互にもデザインされた上質の空間を重ね着している。とても居心地がよい。とても着心地がよいのである。
曽根さんのお話によると、日本では平面の型紙から立体の洋服に展開するという方法論が発達したそうだ。着物は平面で、着ることによって立体にしたものなので、型紙はそこからの発想かもしれない。昔の建物が起こし絵で部屋ができるように、平面から立体にするところが共通している気がした。一方で、上質の洋服は西洋でなされているように、人体的に生地を合わせてつくっていくそうである。古谷さんの場合も、家具から宇宙までの空間を立体的に身体にあわせてつくっておられ、本当に着心地のよい空間を身体でご存知なのだろう。
「鶯庵」に温かさがあるのは、「作者が隅々まで自分のデザインを表現しようという気持ちがあるからだと思う」と曽根さんはおっしゃっていたが、その通りだと思う。開口部回りのディテールも考え尽くされており、カーブを描いた壁にある二箇所のドアには枠も取手もなく、壁の一部になっている。近付いてよく見ると、指を三本掛けられる少しの窪みがあり、それが手がかりになっている。玄関ドアは内側から見ても、重機用長蝶番が使われていて蝶番がないかのように見える。
もともとあった庭の木々がほどよく植わり、敷地が道路より九〇〇㎜程高く周囲から見えにくいこともあり、網戸もブラインドも付けないで暮らされている、建主の美意識の高さもあちこちで伺えた。
美に対して厳しい目をもつ建主を充分満足させた作者の力量に、ただただ感服するばかりである。