新建築「住宅特集」2010.05 掲載

メディア掲載

新しい家族関係とは?

4月号の特集「風景と光の受け止め方」は窓や開口部を人の行為と関係する境界面のあり方として見る切口、そして特集記事「室内窓が生み出す住空間」で室内窓を新しい家族関係の創出と豊かな空間や環境の実現に対する有力な手法のひとつとする位置付けは非常に興味深いものだった。確かに室内窓によって空間や環境が豊かに感じられると思う。しかし、家族関係については、昔からの密な家族関係で育った者にとって、壁で仕切りながらそこに設けられた室内窓でつながるというのは、密接でもなく独立でもなく、お互いに踏みこまないよう緩やかにつながるという住まい方であり、希薄なつながりである現代の家族関係のように思われてならない。このような関わり方が「現代人にとって心地よい距離感や安心感を生み出してくれる」といわれる状況は、私にとって、ますます理解に苦しむ新しい家族の出現を告げるものだった。
私自身、自分の家族に対しては、まだ子供が小さかったため引戸で仕切られた子供部屋と1階と2階が吹き抜けでつながる一続きの空間を用意した。子供が高校生になったら引戸を壁に替えるつもりだったが、結局あまりプライバシーのないままやり過ごしてしまった。そのせいか大学生になると、家を出るべく下宿するようになった。子供部屋の引戸は部屋が狭く感じられないようたいてい開け放され、密接な親子関係であったために、逆に子離れ親離れも早かったように思う。もちろん家族関係は両親の価値観によってつくられるものだが、住宅の空間に影響される部分も少なからずあるように思う。最近増えてきた、母親と子供がいつまでも一体化した親子関係や全員が友達のような分をわきまえない子供の出現に対して、住宅の設計で何かができるのでは、と考えざるを得ない。住み手次第で家はどんな風にでも生活することができるという反面、人は空間や素材から影響を受けているのも事実。人間にとって望ましい家族関係はどういうものかと考える時、私の考えと現在の新しい家族が向かっている方向とのギャップに戸惑いを覚える。
住宅の内と外の境界のあり方は、社会と家族、自然と家族のあり方を示している。景色があまり美しくない隣の家であっても、外に対して窓を設けた今回の住宅は地域に対して開かれ、好感がもてた。風情のある阪神間のお屋敷街は阪神淡路大震災後、植栽が壊れた建物と共にごみとして片付けられ、広い敷地には新しくプレハブの家のみが建ち、かつての面影のない殺風景な町並みになっている。部屋内からは隣の建物しか見えなくなっているが、たとえ1本でも樹木があれば四季折々に変化し、見る人を楽しませ、心にやすらぎを与えてくれるのにと思う。屋上緑化、壁面緑化ということが政策として進められているが、緑は温熱環境としてだけでなく、情緒的な面ももっと評価される必要があるのではないか。子供の情緒を育む意味でも、都会であっても小さな敷地であっても、光や空だけでなく、自然を感じられる緑をもち込むことは大切だと思う。ささやかであっても窓から見える緑は、子供が植物に対する親しみをもつことを育み、人間は自然界の一員であることを教えてくれると思う。
住宅のもつ境界面のあり方は考えれば考えるほど難しいが、望ましい家族のあり方、望ましい社会と家族、自然や環境と家族のあり方に近付けるよう、何度も考え直して行きたいと思っている。