新建築「住宅特集」2010.06 掲載

メディア掲載

「聖居」 椎名英三建築設計事務所

 真っ青な空に若葉の萌える伊豆高原はツツジの花が咲き乱れ、風光明媚というにふさわしい。桜並木を進み、坂を上ると「聖居」は斜面の片隅に、地面すれすれに浮かんで佇んでいる。ファサードは正方形で、屋根はふわりと載せられているため控えめに在る。敷地は崖状になっていて、建物は斜面の底に埋もれるかのようにはめ込まれている。「私は建築が、<自然の感覚=そこにそれがあって然るべき感覚>を携えることが大切であると思う。」「この敷地では崖こそが聖なる存在」と椎名さんは述べておられるが、崖の上でなく斜面の底を建築場所として選んだ時点で、ここに建つ建築は自然の感覚を携える可能性を獲得したのだと思う。
 道路から近い所にある何気ないドアを開けると玄関になっており、4mの正方形が十字に分割されて嵌めこまれている型ガラス「サンゴパン・マスターポイント」を通した柔らかな光が降り注ぐ。さらに歩を進めると現れる「大きな部屋」は、心震える空間である。「物を越えたところに現れいずる空間はそこにそれがあって然るべき感覚を携える。」という椎名さんの言葉どおり、コンクリートの壁と天井はコンクリートであることを止め、床のトラバーチン・ロマーノは人を立たせるためそこにある。そして床、天井、壁というものはなく、ただそれらによってつくられた中身=空間だけがあるかのようだ。だが、その空間は「聖居」の中に限られてあるのではなく、すべての物が存在し、私達が生きる世界=自然の中に融け込んで存在しているのである。「大きな部屋」に居ると、この建築空間は自然へと連なっていると感じる。それは椎名さんが、建築だけでなく、建築も含まれる大いなる宇宙・自然について思索を深め、建築ひいては文明のあるべき姿を考え続けた結果成し得たことであり、現代の建築にいちばん求められていることだと思う。すべてがあまりにも美しいので、心が平穏になり建築は人工物でなくなっている。
 建築の始原的な美学を消失させないという考えのもと、設備の建築化が行われている。それは成功していて、特に照明器具は機能を残し、物としての存在感を消している。また、家具もコンクリートの量塊としたり、それ自体が存在感を持つように建築と一体化している。重心を下げて心を落ち着かせることができるようにと、家具は床と親和性を持つようデザインしてある。
 化粧室・浴室もすべてを忘れて自然の中に溶け込める空間である。ブラインドを閉めると部屋全体が金色に包まれる。この光は、FRPグレーチング、ポリカーボネイト、空気層等合わせて8層から成る考え抜かれたディテールを持つ天井のある奥深くから差し込み、それがとてもきれいな色で、印刷では表わしきれないのが残念である。
 椎名さんは、「私は生きていてよいのだ。」という建築を目指しておられるが、「聖居」では、広さも時間の感覚も忘れ、生の肯定を超えて、生きていてよかったという思いだけが残った。