畑田美智子ガラスアート博物館
羽曳野市指定 畑田家住宅活用保存会年報No20 2021 に寄稿
畑田美智子ガラスアート博物館を設計して 石井智子
畑田家住宅は、1999年に国の登録有形文化財に登録されました。その申請を私がさせていただいたお蔭で、畑田先生ご夫妻とお知り合いになり、その後設立された畑田家住宅活用保存会の幹事として当初から活動させていただいております。畑田家住宅の敷地内にこのたび併設された「畑田美智子ガラスアート博物館」は、畑田耕一先生の奥様、美智子さんのガラスアートの展示施設です。美智子さんのお考えでは、展示室にはテーブルと椅子やソファを置き、来訪者がくつろぎながら、アートを見学し、お茶室では作品のお茶碗や水指などを用いてお茶が頂けるようにとのことでした。ガラスアートの博物館ではありますが、ただ見学するだけではなく、お客様のおもてなしもできるようにと、美智子さんは考えておられました。計画が始まったのは、美智子さんがご存命の2014年にさかのぼります。
美智子さんは、60歳でサンドブラスト技法のガラス作品を作るための工房をお持ちになり、2017年にお亡くなりになるまで、数々の作品を生み出されました。エミール・ガレ賞などの賞も受賞され、国内はもちろんのこと、パリ、ルクセンブルク、ニューヨーク、ロンドン、サンクトベテルブルクなどでも個展を開催されました。東欧のきせガラスの器、つまりいろいろな色のガラスが何重にも重ねて作られている器に、日本の自然や風物への彼女の優しい眼差しが感じられるデザインの模様が彫り出されています。美智子さんは、サンドブラストガラスアートに独自の新しい境地を開かれました。そんなわけで、海外でも高い評価を受けられたのだと思います。拝見していて心の和む作品の数々です。
博物館の建物には、作品を展示する展示室と立礼(りゅうれい)でお点前ができるお茶室を設けることが条件でした。立礼のお茶室は一般的には床が石敷きや板敷きなのですが、美智子さんとの相談の結果、低い椅子や机を使うことにして、畳敷きにするということになりました。日本の床は歴史的にみて、板敷きから発展して置き畳になり、さらに畳敷きになりました。伝統的なお茶室の床は畳敷きですので、現在一般的な住宅から消えてしまって人々の目に触れることが少ない畳敷きにすることが望ましいと私は考えました。
畑田家住宅は、羽曳野市指定文化財ですので、その屋敷内に増築する建物は、現代風の外観ではなく、伝統的な外観がほかの建物と調和すると考えます。それで畑田先生ご夫妻と相談しながら、新築した建物が、屋敷内の歴史的な景観を壊さないように、計画を進めていきました。現存する屋敷内の建物は、伝統工法で作られていますので、適宜補修を施しながら、これから百年以上存在し続けると考えられます。新しく作る建物もこれから、手を入れながら百年以上生きていくことができるように、伝統工法を用い、建物本体は伝統的な素材すなわち木、土、瓦、石、紙、麻で仕上げました。
計画がほとんどまとまった段階で、美智子さんがお亡くなりになり、計画はいったん休止になりましたが、2019年に耕一先生が奥様の御遺志をお継ぎになり、建物を建築することを決定されました。その際に、ご子息の方々のご要望も伺い、市指定の文化財である屋敷内の建物を管理するため、宿泊もできる仕様にした方が良いということになり、浴室なども設けられました。
展示室(写真)はカラフルなガラス作品が映えるように、聚楽土(じゅらくつち)などの仕上げの土を塗らない土壁(つちかべ)中塗り仕上げにとどめて、落ち着いた色合いになるようにし、また、障子をつけて室内の明るさの調節ができるようにしています。展示室は南向きなので、深い庇を設けて直射日光が差し込まないように配慮しております。柱や梁などの部材や床板、天井には昔から使われている柿渋を塗っています。お茶室は、手前畳(てまえだたみ)のある方の天井を低くして控えめな空間とし、お客様の座られるところは少し高い斜め天井として、のびやかな空間となるようにしました。斜め天井は杉板の上に竹むしろ、床の間の天井は杉板の上に麻織物を張り、それを押さえるのに、細くまっすぐになるように育てた海布(かいふ)丸太を使っています。床柱には、生前に美智子さんが丸太屋さんで選ばれたコブシの皮つき丸太、床框は黒檀、地袋の幅の広い板には無垢の一枚板を使いました。建物本体には工業生産の既製品を使わず、ほとんど全て自然の材料を用いています。
伝統的な木組み構法では、工業生産品を使わず、ほとんどが職人さんの手作りになるため、建築工事期間が長くかかり、価格も割高になりますので、余程の日本文化に理解のある人でない限り、伝統工法を選ぶことができないのが現状です。そんな中でこの建物の設計に携われたことは、私にとって貴重な機会でもありました。
伝統工法では、お寺の建物にみられるように、基礎は礎石の上に柱を立てる「石場建て」が用いられますが、最近の熊本地震を調査された構造の先生の助言に従い、「石場建て」ではなく、コンクリートの基礎にしました。基礎がコンクリートであっても基礎より上部が伝統工法であれば、伝統工法と呼ぶことになっています。ただし、このコンクリートは、百年以上持つように、水分が少なくて砕石の多い堅いコンクリートを丹念に打ちました。基礎より上部には金物を使わず、大工さんが木材を削って作った仕口や継手によって組み上げました。将来、この建物を大規模に修理することになっても、金物を使っていませんので、重要文化財等の修理で行われているように、全て解体したうえで、傷んだ部材のみを取り替えて、再び組み上げることができます。
1300年ほど前に建てられた薬師寺東塔は、2009年に修理が始まり、近年完了しました。全てを柱や梁などの部材まで解体して、また最初から組み立てるという全面解体修理が行われました。また、この解体修理の際に、建築当初に使われた部材も未だ残っていたことが分かりました。これは、部材の放射性炭素(14C)による年代測定で明らかになっています。上に述べたように、伝統工法では一度作った建物を解体し、その部材を使って組み立てることができますし、用途に応じて建て増したりすることも可能で、自由に改造してその時に合った生活ができるように工夫されていたのです。一度建てた建物を何百年も使い、建物として使えなくなっても、その部材を他の建物に活用するという物を大切にする文化があったのです。これは、柔軟性に富んだ、世界に誇れる建築文化だと言えると思います。現在は、このように高度な文化が見直されずに寺社に残るのみになり、一般の建築の分野から消えつつあるのは残念なことだと思っておりましたので、この度の博物館が伝統工法で建築できたことは、現代の建築文化の中でとても重要なことであると考えています。
大工、屋根屋、左官屋、塗装屋、土工、鉄筋屋、電気・設備などの職人さん達が、良い建物を作るために、自分の仕事に誇りをもって納得のいく仕事をしてくださったと思います。「畑田美智子ガラスアート博物館」には、目には見えませんが職人さん方の情熱と心が込められています。私の考えを素晴らしい形にしてくださった方々にお礼を申し上げます。コロナ禍がおさまり、このような建物の中で、皆様に畑田美智子様の作品をご鑑賞いただいて、そのお心に触れ、作品を楽しんでいただける日が、一日も早く来ることを念じて止みません。