新建築「住宅特集」2009.05 掲載

メディア掲載

家族のあり方と住宅について思うこと

この1年間「近作を訪ねて」と「住宅を読む」を担当させていただくことになりました。
よろしくお願いいたします。
情報化社会といわれる中で、たくさんの情報にさらされ、それを上手に選択することが大切ですが、私の場合、つい自分の好みにあった情報で身の回りを固め、少ない情報の中で生きているように思います。そして難しい論理が苦手な人間が時評することは的外れになりそうですが、「新建築 住宅特集」を毎号読む中から気になる事柄を見付け出し、それらに触れていきたいと思います。
アトリエ・ワンの作品はいつも名解答と感心しますが、今回の「ポニー・ガーデン」もコンセプトに対して鮮やかな切り口でこたえています。「森の住処」は、構造とデザインのコラボレーションが素晴らしく、質の高い作品を生み出していると感じました。「建築家自邸からの家学び」も山本理顕氏の「GAZEBO」を取り上げていることと、それを分析する生活と空間という視点がよかったことで、より一層興味深い記事になっています。
こうして最新号を見ていると、自分の価値観を頑に守っているうちに、建築界でも多様な価値観のさまざまな作品ができています。最近特に感じるのは、自分の価値観はほんの少数派に属するもので、大多数の人びとはむしろ私のと対極といえる価値観をもち、世の中ではそちらを常識としているようだということです。たとえば、幼稚園で保育時間が終わり、迎えに来たお母さん同士がおしゃべりをしている間に、子供が園庭で怪我をしても幼稚園の責任になったり、小・中学校の課外活動で、もし何かあると教師の責任を問われるので、そうした活動自体が難しくなっているという、子供の置かれている状況がよい例で、違和感を覚えます。怪我をすれば自分が叱られ、先生にキャンプに連れていってもらった楽しい思い出がある私の子供時代とは大きく異なるようです。
家の外での失敗は他人の責任になり、不注意を親から叱られることもなく、住宅のつくりも子供の思いのままだとしたら、子供が失敗に学んで成長する機会を失うことになるし、「子供の分を守る」ということを学ばないまま大人になってしまうのではないかと危惧します。家族の多様化に合わせて住宅も多様化するものだといわれていますが、これから成長する子供がいる住宅は、どんなに価値観が多様化しても、変わってはいけない部分があると思います。両親あっての子供ですから、昼間は家族みんなの空間を使わせてもらい、夜は寝るための、ほかから独立しない小さな空間があればよいのではないかと考えます。たとえば、昔の日本の家のように子供部屋は建具で仕切られた部屋にしておくと、家族関係が密になり、大学生になると家を出たくなって、親離れを促すように思います。
私たちは意識しないうちに自分がいる建物から多くの影響を受けています。たとえば、二世帯同居の住宅がプランによっては月日が経つにつれ、同居が成り立たなくなることがあります。自分が設計した建物が、そこに住む人の生活に大きな影響を与えると思うと、本来人間のあるべき方向を的確に見据えなければならず、独りよがりにならないよう思索を深めなくては、と自分にいい聞かせます。「今の時代に合わせるのではなく、人間がこれから行くべき方向を考えて設計しなければならない。」という意味のことをよく父が話していましたが、とても難しいことです。